037 誰にだって親がいる?
皆さんおはようございます。
どんな人にも必ず親が二人います。
親にも、親がいます。
遠い遠い昔の親にも親がいます。
今、目の前にいる親は、その親の子なのです。
何気なく生きていますが、私たちの体には、昔々の親が生きています。
植物が枯れるように、種を残して、また生まれ生きていけるように。
同じ種は、一つもありませんが、そこから同じような生命が生まれ、また、花を咲かせて実を付けます。やがて勢い無く枯れていきます。生きるということは、その間のプロセスなのでしょう。
私たちは、只自分が望んで勝手に生まれてきたわけではありません。
二人の親から、生まれてきたのです。親がいなかったら、生まれてはきません。
ただ、親が望んで生んだわけではありません。生まれてきたのです。
動物だって、生まれた子供を愛情を持って育てます。生きていけるように育てます。
人間には、自我があります。自分が一番可愛いのです。子供は、その次になります。
子供が言うことを聞かないと、叱ります。自分の利益にならないからです。
親が人格者であれば、子供の生き方を尊重し、しつけ指導をしていくことは出来ますが、
親が身勝手な自分本位の人であれば、子供がそれをどのように見るかで、生き方は変わってきます。
生まれてきた子供は、いつも生き方を考えていると思います。
親のようになりたい、親のようになりたくない、あるいは無関心?
子供は、親から生まれては来たのですが、親とは別の人間です。
よく、親が、お前を生んで育ててやったと言いますが、当たり前のことです。
生かそうが殺そうが幼い子供には、それを拒否することは出来ません。
今ここに生きていることだけが、事実なのですから。生き延びたと思えばいいのです。
子供は、大人になり、老人になり、この世を去ることは明確なことです。
苦労して生きてきているのですから、これからのプロセスを生きていかなければなりません。
どう生きるかは、自分しだいです。
教養を身に付け、人格者としてこれからの人生を心豊かに暮らしていくのか?
目先の利益に先導されて、お金を稼ぐことに時間を費やし、貧しい人生を送るのか?
自分が心に画く人生観次第です。
親の介護は、人格者としての人生のゆとりであり、当たり前のここと思えることが、すばらしい生き方ではないでしょうか。